第六章 結び

さて、わたしが八十数年の人生で感じた不思議なもの「Ⅹ」について長々と書いてきました。
宇宙の中でも生物が存在しているという極めて稀な星であるこの地球という天体が生まれたのは、四十五億年前ぐらいのことであろうと推定されています。人類の誕生は百七十万年前。チンパンジーから枝分かれした人類の先祖が、百五十万年前の原人という区別のころに他の動物と異なって火を操ることを発見しました。それから、旧人と呼ばれるネアンデルタール人クロマニヨン人などの時代を経て二万年ほど前のホモサピエンスといわれる我々の直接の先祖の時代が始まります。そして、他の動物が持たない理性、知性、感性を育てて独自の道を歩み続け現代の人類に到達しました。
有史以来の現代人は、人類特有の知性で科学を発達させ、十八世紀産業革命による蒸気機関の発明から第一次世界大戦第二次世界大戦を経て戦後の科学文明は二次曲線状に急速に発達しています。
音速を超えるジェット旅客機は多数の人間を短時間に地球の各所に移動させることを可能にし、地球の距離を短縮しました。ITの発達で情報は、瞬間に世界を駆け巡ります。
十九世紀の終わりごろ、自動車の父と言われるダイムラーとベンツが実用的な自動車を発明して以来、まだ百年とちょっとの歴史ですが自動車は人類が発明したものの中ですべての面で最も有効に活用される道具であったようです。
東南アジアの発展途上国といわれる国々を回ってみますと都市は排気ガスを撒き散らす各種旧式自動車で埋まり、空には科学の極致といわれる飛行機やヘリコプターが飛び交っています。
後進の発展途上国でさえこのような状態であるということは、大量消費する先進国などを含めた地球上すべての国で四六時中、自動車、航空機は大量のガソリンを消費しながら走り回り、飛び回っているということでしょう。
宇宙衛星から肉眼で地表をみることができれば、地球の表面は、黴のように車と人間が埋まってそれがうごめいているように見えるのではないでしょうか。
大量の石油消費は、大量の二酸化炭素の発生を増やし、地球温暖化を促進します。地球温暖化は、海面の上昇を来たし人間の住む地域が減少し、また気候の変動で穀物が取れなくなります。
限り有る地球資源の石油は、そのうち取りつくしてしまうのではないかと心配されるのですが、専門家は、石油が無くなる前に温暖化の影響の危険から石油が使えなくなるだろう、と予想しているようです。
温暖化に限らず、工場廃棄物、生活廃棄物などが文明の進度に正比例して増大し、地球の汚染は急速に進んでいます。
また、人間は原子爆弾というとてつもない破壊兵器を発明しました。そして現在、北朝鮮やイラン・イラクなど「ならずもの国家」といわれる国が連携し合ってその破壊力を手に入れようとしています。
今から四千年前、中東のチグリス、ユーフラテス河沿いに人類最古のメソボタミア文明が栄えました。その地が現在のイラクです。
西暦二〇〇七年の現在、内乱、テロで国家崩壊間際のイラクが、常識の通用しない狂犬のような北朝鮮と提携し、原子爆弾を手に入れれば人類最終戦争への口火を切るのではないかという予感もあります。
人類文明発祥の中東の地が人類滅亡の拠点となる、とすれば何か因縁めいたものを感じます。
恐竜は、科学文明を持たなかったお陰で一億五千万年もの、長い長い歴史を生きて巨大な生物となり中世代の地球表面を我が物顔に跋扈していましたが、あるとき、突然の天変地異で消滅しました。
四十五億年の地球の歴史の中に人類出現以前に科学文明を持った生物はいないのです。恐竜の次に地球上に姿を現した人類は、知性を授かり科学文明を進化させ地球を支配しましたが、天変地異どころか自らの手で僅か二百万年の足跡を地球上に刻んで、あっという間に消え去るのではないでしょうか。

われわれは、その発達の頂点に近い時代であろうと思われる二十一世紀を生きています。
わたしは、日本人として戦前に生まれ、敗戦の日々を経験し、戦後の急激な科学文明の発達を具に目にしながら生活してきました。
仮に、縄文時代とか、うんと下って江戸時代にでも生まれていたとすれば、同じ長さの人生を生きたとしても、変化の少ない人生であっただろうと思われます。
激動の時代、そしておそらく人類終焉も間近の二十一世紀を、砂粒の一つとして八十年も地球上に存続させていただいたことに何という幸せであったことよ、と深く感謝いたしております。
わたくし、いよいよ、この現世のベルトコンベヤーから脱落して特異点を越え、本来所属していた別次元の母体に戻ることになりますがそこで地球に微弱な信号を発信する何か不思議な力「Ⅹ」とお会いできるのではないか、そして、わたしもそこからできる事なら現世に向けて信号を送りたい、そのような期待と決意を抱いてこの世とお別れしたいと思います。
皆様に大変ご迷惑をかけ、また大変お世話になったことを深く感謝いたします。
わたしが残す言葉は、「貴重な一日一日を悔いのないよう充実して過ごされますように」と言うことであります。

老婆心ながら一言付け加えさせていただきますと、
充実した一日とはどのようなことでしょうか。
充実の感じ方は人それぞれだと思いますが、物の見方の深浅ということもその手段の一つと思います。
深く物事を見つめた人の人生と、あまり物事を深く見つめることの出来なかった人の人生は同じ年限を生きたとしても大きな隔たりがあると思います。
この世に短い期間しか存在できなかった人でも深く物事を見つめて充実した人生を送れば、皮相な面だけで長い期間を過ごした人よりも価値のある人生であったといえるでしょう。
物事を深く見つめることの出来る知恵を磨くということが、この世で生きていく上で最も重要なことではなかったか、と人生のたそがれを迎えて痛感するのです。
美しい景色を見ても、野に咲く可憐な花を見ても何も感じない人もいます。美しさの中にも単に表面だけの美しさを感じる人、美しさを深く掘り下げて意識できる人、深さの程度にも差があるようです。
花に限らず絵画・彫刻、音楽・舞踊など芸術や、文学など、どの世界でも同じことが言えるのではないでしょうか。
わたしは、残された日々が少ない老境に達したころ、ああ、あれを学んでおきたかった、これをやっておけばよかったのに、などと、改めて後悔することばかりです。
生涯を通じて己を磨くようなものを選別することが大事でしょう。若いころに、それらを見出して自分を磨く毎日こそが充実した日々であろうと思うのです
なすことも無く呆然と日を送ることは最も忌むべきことではないでしょうか。
おしまいになって余計なおしゃべりをしました。

では、皆様お世話になりました。一足お先にまいります。さようなら。