終焉の記 砂のつぶやき(15)

第五章 考察(1)
仏像を拝んで念じていると伝わってくるもの、樹木に手を当てて念じていると伝わってくるもの、それは、電気、磁気のように目に見えない「氣」とつながっているようにわたしには思えます。

現代科学は、月に人間を着地させ、宇宙ステーションを建設し、太陽系の探査衛星を発進させ、ミクロの世界では遺伝子の操作まで出来るようになりました。ですが、まだまだ宇宙には解明できないことは沢山あるそうです。
宇宙の果てには何があるのでしょうか。まだ良くわかってはいないようですが、一説では、宇宙の地平線は光速度に近い速度で遠ざかっているので、どんな大望遠鏡でも捕らえることができない。最も遠い準星の距離までおよそ百八十億光年といわれています。

宇宙の大きさについて光年という単位が使われます。
日常生活では、雷が光ってしばらくしてゴロゴロと雷鳴が届くので、音には速度が有るのだな、と言うことが良く分かりますが光は瞬間としか考えられません。
光の速さは一秒で地球を七回り半、三十万キロメートルです。一分はその六十倍、一時間はさらにその六十倍、一日はその二十四倍、三六五日の一光年は、何と九兆五千億キロです。
一秒間に地球を七回り半も回るので現実的には瞬間としか考えられない光が、一年間、走り続ける距離が一光年ですが、光が一年間も突っ走る距離なんて現実の生活ではちょっと考えられないような途轍もない距離です。
地球が属する銀河系の直径は約十万光年で一番遠い準星の距離は百八十億光年だなどと、数字で一口に言われても、われわれの頭脳で現実感覚としてはとても受け入れられないというか、いったいそれがどれくらいの広がりなのか考えが及びません。
天文学では光年単位で論じられるわけですが、考えてみると宇宙では面白いことがありそうです。例えば、わたしが生きた人生八十三年ですから、仮に、八十光年の先に星があって、地球から届く光を分析することが出来るものとすれば、わたしが三歳のとき悪戯をしている光が今届いています。だからそこで見続ければわたしの成長過程が見られる、なんて不思議なことが可能かも知れません。まあ、それは阿呆な空想ですが・・。
八十光年の距離など百八十億光年という宇宙の広がりからみれば、針の先の点ぐらいの距離でしょう。

さて、その具体的には想像もできないような広がりの中には何があるのでしょうか。

まず初めに、この宇宙はビッグバンで誕生したという宇宙の起源に関する理論があります。ハッブルの宇宙膨張説を根拠にジョージ・ガモフと言う人が提唱した理論です。
宇宙の果ては光の速さで広がり続けているそうです。だから、逆に遡ってみますと一点に収縮するはずです。百八十億年の昔のある瞬間に、物質とエネルギーの密度が無限大で、大きさがゼロの点(そんなものが実在したと考えられるのでしょうか)それが爆発を起こして始まったのが宇宙だということのようです。
時間はビッグバンから始まったのでしょうか。ビッグバン以前にも時の流れが存在していたとすれば、では、ビッグバンの以前には何があったのでしょうか。

次に、強烈な引力のために光でさえも吸い込まれてしまい、脱出する事が出来ない「ブラックホールと言うものが宇宙にはあるそうです。
アインシュタインの一般性相対理論は、普通にはなかなか理解できない難しい理論です。
「宇宙の超新星爆発で、後に残された部分の質量が太陽質量の一.四倍よりも大きい時は、収縮して密度が無限大になるような崩壊が起こり、一点にまで崩壊する。それは、大きさが無くなるということで、これが所謂ブラックホールだ」と書いてありますが、それは、どういうことを意味するのか素人には良く分かりません。
ブラックホールに吸い込まれてしまったものは一体それから先どこに行くのでしようか。
それは、いまだに解明されては居ないそうです。われわれの住む時空とは異なる別次元の時空が存在してそこにトンネルを突き抜けて行くのかもしれません。
最近(一九八七年)観測されたわれわれの銀河系隣の大マゼラン銀河の超新星爆発でその中心にブラックホールらしきものがあると考えられているそうです。

アインシュタインの一般性相対理論は常人には理解できない難しい概念ですが、物理的には考えられない密度無限大の特異点と言うものを内包していたり、因果律の原理、原則に反するという矛盾を持っていて、結局、今の段階では宇宙には判らないことが充満しているという事が判った、ということのようです。
ドイツ人科学ジャーナリスト「ウーパ・パーパート」氏は「自然界についての人類の知識の現段階においては、何かわれわれが完全に理解していない現象が存在している」と言っています。

数学で言う虚数、Ⅹ=±√−1を昔の学者が発見した時、これは、悪魔の数だ、と言って困惑を越え嫌悪を感じた、と書いたものを読んだことがあります。
また、ƒ(x)=1/XはXを0とするとき∞(無限大)となって存在しない事になる。
つまり、虚数は、悪魔の数だ、存在しないことになる特異点(∞)は、有り得ない数だと昔の学者が嘆いても「数学」と言う精緻な理論を突き詰めて行くと、どうしても実数とは異なる別次元の存在を認めざるを得ないのではないでしょうか。
数学者のご意見を伺ったわけではないので専門家はなんと言われるかわかりませんがわたしには、そのように思われるのです。

その数学の理論を押し詰めて行くとたどり着く「虚」や「無限」の世界、それこそ、一般的に「あの世」「霊界」「冥界」と云われるものではないでしょうか。
「あの世」「霊界」「冥界」などという言葉は、オカルト的なものに繋がるようで現代の一般的な頭脳は口にするのを避けたがるようですが、これまでにわたしが度々述べました何か判らないもの、「Ⅹ」と言うような表現をすると使い易いでしょう。

今のところ、人智の及ばない広大な宇宙空間、そこにはXを包含する異なる次元の世界が存在する、と数々の経験からわたしは思いたいのです。