終焉の記 砂のつぶやき(14)

第四章 不思議な出来事(6)
その4、その他(2)
3、他人の経験
これまで、わたしの直接経験したことを述べてきました。
いろいろと書かれたものを読んだり話を聞いたりすると世間には不思議な話は無数にあるようです。
よく知られた話に、鹿児島知覧基地から出撃する特攻隊員が、特攻おばさんとして有名な鳥浜トメさんに「おばさん、僕、蛍になって帰ってくるよ」と言って出撃、本当にその夜、庭に蛍が飛んだそうです。
この鳥浜トメさんは既に亡くなられましたが、わたしと少飛同期生(九期)で特攻作戦が開始される前に知覧飛行学校に操縦教育の助教として在籍して居たのが数名居て、そのころから鳥浜トメさんにはお世話になっていたそうです。
戦後、知覧で同期生の慰霊祭を開催したときトメさんとお会いして昔のお話を聞いたことがあります。トメさんは、そのとき、わたしの顔に誰かの面影を思い出したのか、じっとわたしを見つめて「あんたは、○○さんじゃなかと?」と言われました。わたしは知覧基地にはフイリッピンに移駐のとき、一度着陸したことがあるだけで特攻出撃のころの知覧は知りません。「いいえ」とわたしは首を振ったのでトメさんは別の話に移りました。

また、栃木県塩原市出身の少飛十四期生星忠治氏は、第五十三振武隊員として昭和二十年五月十八日、知覧基地から出撃、戦死されましたが、出撃前に一泊の休暇をもらって帰宅したとき、特攻隊員に選ばれたことを告げたそうです。それから数日後の夜半、塩原のお宅が風も無いのに、がたがたと何度も障子・襖がゆれ、家族全員が目を覚まし不思議に思ったとき、父親の墨作さんが「戦死かな」とつぶやいたそうです。その後の調べでそれが丁度出撃の夜であったそうです。

加藤剛という有名な俳優がいます。彼は、エッセイストとしても有名ですが、その作品の中に「幻の鳥を想う」というのがあります。剛のお姉さんのご主人、軍医だったそうですが、この方はテニヤン島で戦死されました。そのころ、静岡のお宅の屋根に図鑑にも載ってないような大きな鳥が飛んできて止まり、しばらくして海に飛び去ったことがあったそうです。 加藤剛は、まだ少年の頃のことです。加藤は梯子をかけてそろそろと屋根に上がりその鳥を見たそうです。眼光すさまじく、脚は苔むしている不思議な鳥でした。鳥はアッという間に海の方に向きを変えて急カーブを描いて姿を消し、それを見た家族一同、不安な思いに駆られたそうです。それから、間もなく戦死の公報が届き、さかのぼってみると、その鳥が来た日であった、という記事があります。

歌舞伎の先代中村勘三郎は、何かに腹を立て「死んだら蝿にでもなって、みんなを見張っててやる」と言ったことがあるという。亡くなった通夜の晩、「親父は賑やかなことが大好きだったから」と通夜の客が帰ったあと麻雀をはじめたら、飾られた遺影が倒れ、四月だというのに蝿が一匹飛んできた。ふだん蝿などいない家なのに・・。
以来、大事な舞台や催しのたびに決まって蝿が姿を現す。出番を待つ勘九郎の額にとまってどいてくれない。「一緒に出ますか」と訊いたら、やっと飛び去ったということもあった。
中村屋では、蝿は先代の化身として扱われている、と『役者は勘九郎 中村屋三代』という本に書かれてあります。

以上の他にこれに類した話、つまり霊感とか、暗示とか、予言とか、要するに科学では解決することの出来ない不思議なもの「Ⅹ」についての話は数限りなくあります。
わたしの不思議な「Ⅹ」を経験した話もその中の一つですが、似たようなことを経験される方が大勢いらっしゃるということは、それらが根拠のない偶然の現象に過ぎない、あるいは弱い人間の妄想に過ぎない、と断定できるのでしょうか。
わたしは、そのことに就いて自分なりにいろいろと考えてみました。